生きるための瞑想でなければ・・・

第19話 生きるための瞑想でなければ・・・

来る日も来る日も色んな方が私の神憑り部屋にやって来ます。

そして、瞑想してますか?
瞑想して下さいよ。

と言うと、大抵の方は、いや瞑想は出来ないんですよ。
私は、、、
と諦めたかの様に言われます。

ん、瞑想が出来ない?

ちゃんとオームから始めてますか?

いえ。

マントラの一つでも唱えてますか?

いえ。

神様を信じ、敬愛し、命を捧げていますか?

当然の様に。

いえ。

それじゃあ出来る訳ありませんよ!

他所へ行って下さい。

と、なってしまいます。

瞑想して悟りを開くには色んなやり方があります。

インドにはヒンズー教がありヨガがあります。

彼らはマントラを唱え、キールタン、バジャンを謳います。

一時期流行ったサティア・サイババのところも同様です。

同じインドから産まれた仏教は神の存在を否定し、マントラやお経を唱える事を禁じ、偶像崇拝、つまり仏像を拝む様な行為を禁じています。

ただひたすら目を瞑って、言葉を発せず、瞑想します。

ディパサナ瞑想と言います。

シッダルダが悟りを開いた瞑想法です。

達磨大師が開いた禅の世界もただひたすら足が腐りそうになるまで禅を組みます。
つまり瞑想です。

しかし、こんな修行は凡人には到底無理です。

仏教は上座部仏教、大乗仏教へと発展します。

ヨガ、ヒンズー教、仏教の詳しい説明ははぶき、本題の瞑想について書きます。

瞑想とは?
本来は止観の事です。

自分の心の働きと言うものを止めて観るのです。

そして、悟るのです。

何を悟れば良いのか?

空です。

終わり。

となります。

悟りと言うものは体験ですから、空を説明する事は不可能です。

また仏陀、つまりお釈迦様は一切教えを書き記してはいませんから
つまり、お経はお弟子さん達、また後世の偉い僧侶が書いた物です

お釈迦様の心境は誰も分かってはいないのです。

で、何が言いたいのかと言うと、人間と言う者は悟ってしまえばお終いだと言う事です。

悟ったら死ぬしか無いのです。
と言うか、生死に頓着が無くなり、生きる意味や目的にも頓着が無くなります。

なんせ生きる事自体が煩悩ですし、エゴ、自我が無ければ生きては行けません!

悟りの観点から言うとヒンズー教ほど馬鹿げた宗教もありません。

カースト制度ほど馬鹿げた話はありません。

そうなると日本の皇統、今では天皇制と言いますが、国体つまり国家のアイデンティティー等どうでも良くなります。

つまり、仮に空を体験したとしても、それを手放さなければならなくなるのです。

何の為に?

生きる為です。

そうなると、生きる為の瞑想が必要になって来ます。

健全に生きる為には、エゴの全てを消滅させ、空を体験するよりも、健康に裕福で、幸せに、楽しく生きる方が良いでしょう。

やりたい事をやり放題で生きる方が良いでしょう。

また、それが世界平和や日本の発展に繋がった方が良いでしょう。

自分を好きになり、自分の才能を認められるようになった方が良いでしょう。

それが、私が教えている瞑想法です。

煩悩と悟りと神との揺らぎのなかで。

そして、人が大成功を成し遂げて死ぬ時には空の体験が出来るのです。

めでたしめでたし。 ビジョンを実現させる事によって、必ず皆んなもゴールを達成してビジョンを実現するんだと想い、願い、祈るのです。