人生は芸術だ!!

体験談

芸術に造詣が深い母親と、

どんなものでも、個性的な視点でいとも簡単に

「創造する」ことを得意とする姉。

一方、芸術的センスとは無縁。

静かだけど家族想いの体育会系熱い父親。

そんな 個性派ぞろいの家族の下に
私は育ちました。

私自身もお絵描きが子どもの頃から大好きで、
工作といった他の手作業は大の苦手だったけど
私の好奇心は日々ふくらんで、

「いつか色んなことがもっとできるようになりたい!」

という大きな夢を胸に過ごしてきました。

ところがある家族からの言動から
「母と姉のような力量とセンスは 私にはない。

私のレベルは甘々だ。」と
だんだん自分の画力や作品のクオリティーに自信をなくし、
芸術は私にとって「ただの自己満足のお遊び」でしかないのだと、
私は自分の芸術的可能性を徐々に諦めていきました。
同時に抱いていたもう一つの夢。
小・中・高等学校で教わっていたフランス語の

授業が私は大得意でしたので
私は語学を活かした国際的な仕事に就きたいとも

思うようになっていました。

 

 

だけど大学受験を控えた時期には、

周りの友人も同じような進路を考える子が増え始め、

はっきり言って
「なんだ。みんなと一緒なんじゃあ、つまらないな。
私は本当は、みんなと違うところで活躍したい。」と

考えている自分がいました。

しかし結局、大学時代も引き続き
フランス語を専攻に選んだ私。

他に学びたいことが見つからなかったのです。

しかい好きだったフランス語も面白くありませんでした。

入学してしばらくして。
私は、自分の空虚な大学生活に焦りを抱き始めました。

「このままじゃ私がここにいる意味がない。
英語を今までやってこなかったな〜。今から始めようか。」

フランス語ができて、英語が全くできないのは 恥ずかしいこと。
そう思って、私は英語の勉強を始めました。

ある時、私は 大学の友人から勧められて
スカイプを始めました。
使い始めてまだ数日の、不慣れなスカイプユーザー。

 

その時、イギリス在住の黒人男性から電話がかかってきたのです。
「英会話の練習に良さそうだ♪」と言って
軽率にもスカイプでのやりとりを始めました。

 

1週間程度のスカイプでのやり取りの間に

いつしか私はその黒人男性と付き合うことになります。

 

それからの生活は彼中心

休みとバイトで稼いだお金は

ぜーんぶ彼に会うためのイギリスの

渡航に充てられました。

 

「私が本当にやりたいことはなんだろう。」
「私はなんで、イギリスにいるのかな。」
「私、本当はフランス語をもっとやりたかったんじゃないのかな。」

そんな思いがイギリスでずーっとぐるぐるしていました。

 

 

当時、唯一の救いだったのが、

中先生がされていたブログの存在です。

マクロビオティックを知ったのはこの時。
イギリスにいた時も日本にいた時も、

毎日、食い入るように読んでいました。

生きた心地がしない黒人男性との生活。
まるで自分が 中身空っぽの人形みたい。
外見ばっかりかわいがられて。

「中先生に 健康相談しようかどうしようか」

何せ、ブログで目にする先生からの

健康アドバイスは
なかなか辛辣でしたから・・・
「相談したいけど、怒られるのは嫌だなあ。」

とか弱気な自分がいたのです。

しかし意を決して
怒られても仕方がない汗

カチカチカチ
ポチッ。

〔送信完了〕フォルァ!!(メール)

彼との生活を相談してみました。

先生からは

完全に自分がしたい事、

するべき事を見失ってるなあ。
よっぽど寂しいんか。
 

君は、人と関わるということから逃げてるんやで。

 

現実逃避しているだけや。

そんなところで油売ってんと早よ家に帰り。

家に戻って、自分の事を色々ブログに書き。

というお返事をいただいたのです。

そうか。

私。

逃げてここに来たんだ。

 

納得うんうん

思い立ったら、人目もはばからずすぐ行動できる
潔い私と

肝心なところで人目を気にする
恥ずかしがり屋で自信のない私との

壮絶な格闘が始まりました。

今思えば至極くだらないことですが、
当時の私にしては
ただ事ではない決断を

この瞬間で迫られていると感じていました。

5年間の経験を手放すか?
ゼロからのスタートに手を伸ばすか?

その自分は、心も体も完全に疲弊していて、先がない。
もはやイギリスに私の居場所がないことは明白でした。

私は先生にお返事をしました。

「わかりました。今から別れます。話してみます。」

彼の家に戻って、

 

今まで抱えていた不満を1グラムも残らず全てぶちまけて、
私の変貌ぶりにすっかり困惑した男を尻目に
奇跡的に取れた翌日のフライトsao☆
光の速さで日本へ帰国しました。

私の行動は、なかなかの快進撃でした。

家族にどう思われるかなとか
日本に居場所はあるだろうかとか

そんな心配が頭をかすめるということなどは
微塵もありませんでした。

私の未来は明るいランプ

そう確信していたのです。

帰国した時 季節は春桜**
清々しく、心地のよい日々でした。

早速先生から言われた通り、ブログを書いてみることにしました。
ここまで詳しくは全然書かなかったけれど、
内容は、イギリスから日本へ帰ってきた経験談、
あとは日々の徒然日記日記

最初は
「ブログを書くなんて、なんのこっちゃ?」
と思っていたところがありましたが

面白いほどに
キーボードを打つ手が止まらない。

こんなこと聞くつもりはなかったのに・・
だけど 先生に一番聞きたかった本当の質問が
まさにこの時、ようやく出てきました。

「先生、私 これからどうやって生きていけば

いいんでしょうか・・・?」

別に焦らんでもええがな。
君は生まれつきかなり陰性やから芸術家になったら。
フランス大好きでイギリスにもいてたんやったら

まだ若いしセンスも良いやろ。
自分のセンスを信じて芸術家になり。

親のスネ思いっきりかじって。
悪い事やと思わんと。

へぇ・・・芸術家かあ・・・・この私が?
私、芸術家になっていいの?
自分にセンスがあるって 信じていいの?

先生からの予想だにしない言葉に
びっくりする自分がいる一方で、
一番自分に届けたかった言葉は
ああ、 これだったんだと
この時初めて実感しました。

同時に、自分の足元に、一本の光の道筋が

見えた気がしました虹

私が今まで過ごしてきた現実逃避の道。

それは、ある意味私が芸術家として歩んでいくための

一つの糧になっていたのです。

 

芸の肥やしとでもいいますか。

 

黒人男性との5年間の生活。

 

家族との関係もすべて。

 

また、今までの私が描いていた

芸術というのは

自分よがりで自分の世界だけで楽しむ

いわばマ スターベーションのようなものでした。

 

だから、人からは評価されないし

本当の自分はそれを望んではいなかったのです。

 

あるご縁をきっかけに

私は、一人一人の女性が最も

綺麗に見える色、髪型、服装onepiece+.というのが

明確に見えることがわかりました。

 

それではっと気づきました。

私は、人のために

この私の才能を活かしていく。

 

そうすることで私は

芸術家パレットとして活きてくるのだ!!

 

今まで否定してきた

人生のすべては

私をそこに導くためのものだったのです。

 

芸術や自分のセンスを信じてビジネスを

する方法を中先生に教えていただきました。

 

本当に私にとって中先生に出会えたことは

ラッキー中のラッキーでした。

今では、グラフィックデザイナー、ブランディングプランナーとして
日本のみならず海外でも仕事をする機会が多い私。

自分というものを捨てて

目の前にいる人が最も喜ぶことを

デザインすることが私の喜びです。

 

本当にありがたい仕事を今させていただいています。

 

C.Kさんより

 

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