私のがん、父のがん、母のがん その3

体験談

私の母は、

私の父(母の夫)が大腸がんで亡くなってから、

しばらくしてから肺がんと診断されました。

 

余命は最悪の場合は

約半年と言われましたが

発病してから3年くらいは

入退院を繰り返しながら

暮らしていました。

 

私は、離れて暮らしていたため

多くの時間を過ごしていません。

 

1か月に1度も会いに行きませんでした。

 

そして、

私がインドでの研修旅行中に

母は息を引き取りました。

 

死ぬ瞬間にも立ち会わず、

お葬式も妹に任せました。

 

研修旅行に行かない。

という選択肢もありましたし

 

途中で帰るという選択肢もありました。

 

が。

 

私はどちらも選択しませんでした。

 

もちろんそこにはたくさんの葛藤がありましたし

迷いもありました。

 

娘として、人として。

普通であれば旅行なんてほっといて

看病すべきでしょう。

 

というのが世間です。

 

旅行中、先生に相談しました。

 

あわよくば

 

帰ってあげ。

という言葉をわずかに期待しながら。

 

しかし

予想通りの答えは

 

旅行を続けて突破しろ。

 

というような言葉だったと思います。

あまりに「わたし」の世界にいたので

思い出せないのです。

 

そして、研修旅行の途中で母が

亡くなったとメールが入りました。

 

一人になって泣きました。

それは娘としてだったのか

わかりません。

 

そして、その夜に先生に報告しました。

 

今どう思っているのか?

 

と聞かれました。

 

「冷たい娘だなと」と思います。

と世間一般的な答えを言いました。

 

そこから先生の母の死のタイミングの

解説が始まります。

 

君はな。

お葬式を自分で出したくなかったんや。

 

それをお母さんはわかってはったんや。

だから、君がインドにいる間に帰られない状況の

時にわざわざ亡くなってくれたんやで。

 

えー!!

 

母にそんなことわかるの?

しかも、母の葬式だしたくなかったって

どんだけ不義理な娘なんやろう。。。

 

わたし。

 

前にもそういうタイミングあったやろ。

インド旅行に行ったとき。

でもあの時は君はまだ弱かったんや。

あの時、お母さんは自分が死んだら

この子は帰ってくる、逃げて帰ってくる

というのがわかってたから

死なれへんかったんや。

君が強く耐えられるようになるまで

待っててくれたんやで。

 

早く死にたかったはずや。

 

と。

 

早く死にたかった???

そうなの?そうなの?

 

頭の中はぐるぐるです。

 

思考停止状態。

 

さっきとは違う涙が流れる。

 

そんな感じでした。

 

世間体を気にして、生きてきた

母。

そして私。

 

母の死に際にそばにいない

不義理な娘。

 

そんなこと。

 

かつての私は絶対にできませんでした。

 

世間一般、普通の幸せというものを

求めて、

はみ出さないようにはみ出さないように

生きてきました。

 

ひとしきり泣いた後は

妙にすっきした風が吹いたように思います。

 

この一件をきっかけに

私の精神状態、物の見方は

大きく変わっていきます。

 

世間一般。

 

というものから。

 

今まで、母に対して

不満やら、文句やらたくさん

ありましたが。

 

このタイミングで私を追いやってくれて

ありがとう。

 

そんな気持ちが

今。

 

あります。

 

S.Sさんより

 

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