カウンセリングとは?その2

5. 心理学の歴史

アドラー

 

アルフレッド・アドラー(1870〜~1937)
オーストリアおよびアメリカの精神医学者、精神分析学者
アドラー心理学(個人心理学)の創始者

 

人の心の動きを学ぶ心理学。

これは、生きる知恵を学ぶものとも言えます。

心理学を学ぶ上で避けて通れない三大巨匠といえば、フロイトユング、アドラーの3人です。

フロイトユングに続いてアドラーについて説明をしていきます。

彼は、弟が1歳で死亡したり自身もくる病や声帯の痙攣などの病気がありそれをきっかけに医者になりました。

当時、彼が医者として働いていた場所の近くに遊園地があり、そこで働く人たち、つまり大道芸人たちが多く患者として通ってきていたそうです。

彼らの多くが、小さい頃から遊園地が好きだった訳ではなく、自身の身体的な劣等感を克服して、今の仕事に就いていることに気付くようになります。

大道芸というのは、一般的な能力ではできないような人をあっと驚かせるようなパフォーマンスをします。

この「人をあっと言わせたい」「驚かせたい」という気持ちは、その人の劣等感からくるのだとアドラーは気付いたのです。

この「劣等感」が人格形成や人間の成長に大きく関わっているのではないかと考えるようになるのです。

また、身体的劣等感だけでなく、心理的な、内面的な劣等感というものを私たちは持ちます。

これも身体的劣等感と同様に働くのだと観察したのです。

アドラーの提唱した心理学についてさらに説明をしていきます。

個人心理学とは?

彼は個人心理学を確立しました。

個人というのは英語で言うとIndividualと言います。

その中のdivideは分割するという意味です。

その前に接頭語の「in」つまり否定形がついているため「分割できない」という意味になります。

つまり、アドラーは人間をこれ以上分割できない全体として捉えていました。

精神と肉体。
感情と理性。
意識と無意識。

といったように、あらゆる形の二元論に反対したのです。

全部をひっくるめて全体として存在するものであるという、非二元性というものを論じていたのです。

フロイトとアドラーの違いについて

では、ここで、フロイトとアドラーの思想の違いを説明します。

フロイトは先にも説明した通り、人間の心理や行動考察する上で「性欲」を中心に据えていました。

また神経症の原因として過去の生活史に着目しました。

一方、アドラーは人間には、劣等感を補償するために、より強く、より完全になろうという意思があると考えました。

これは、現代に生きる人たちにも解りやすい考え方です。

人は、より良くなりたい。より賢くなりたい。より強くなりたいと思うものです。

但し、劣等感の補償作用が強くなりすぎると、神経症的な症状が生じると考えられていました。

彼は、劣等感そのものを問題視はしていませんでした。

劣等感というものは、それを意識して克服することによって、よりなりたい自分になれたり、自信を持てたり、自己肯定感を持つことができるようになるのです。

また、彼は人間行為の目的性に注目し、未来志向的観点から神経症を理解すべきと主張しました。

過去の原因に注意を向けるのではなく、未来に何を得たいからこういう状態になっているのだと見たのです。

目的を大事にしたのです。

目的論のアドラーと原因論のフロイトというようにこの二人の差はここにあったのです。

劣等感と優越感

人を悩ませる大きな要素として、人間関係があります。

自分と人を比較して評価し落ち込んだり、有頂天になったりと非常に愚かなことです。

しかし、これが人というものです。

人と比較するからこそ出てくる劣等感と優越感について説明をします。

劣等感というのは容姿や体力、知的能力、財産、血筋、社会的地位などの点で自分が人よりも劣っているという感情のことです。

これは、客観的に見て、他者よりも劣っていると言うことよりも

主観的に、他者より劣っていると思い込むことにより生じているのです。

この劣等感が複雑になってくることをアドラーは劣等コンプレックスと呼びました。

劣等感を補うのに優越感。

劣等コンプレックスを補うのに優越コンプレックス。

というように、相互補償的な関係で捉えていました。

同様に、優越感は容姿や体力、知的能力、財産、血筋、社会的地位などの点で自分が他者よりも優れているという感情のことです。

その背後には、権力翌、支配欲、名誉欲という欲求が隠れているものです。

そして、また優越感は不安定な感情で容易に劣等感に転じてしまうのです。

なお、優越感を持つ人は他罰的で、他者に批判的な態度をとりやすいという特徴があります。

この優越感という感情が複雑化した場合には、優越コンプレックスと呼ばれます。

例えば、自分が英語を話せない場合、周りにいるA子さんやB子さんが上手に英語が話せるとします。

その場合、「私も英語の勉強をがんばろう」と思うのが健全な劣等感の克服の仕方です。

これが劣等コンプレックスになるとどうなるかというと。

言い訳をして自分の課題に向き合わなくなるのです。

「どうせ私には、英語塾に通うお金がないから英語を勉強できない。だから、英語ができなくてもしょうがない。」

というように課題から目を背けて自分を正当化します。

さらにそれがエスカレートすると今度は周りに対して、羨ましく思ったりそれを通り越して、恨めしく思うようになったりするのです。

これを劣等コンプレックスと言います。

そのうち、自分の心理を合理化してA子さんなんてどうせたいしたことない、とか。

B子さんはなんか鼻につくな。

あなたはこれを持っていないけど私は持っているのよ。

というように、心理状態が複雑化していくのです。

優越コンプレックスを持つ人は、相手を馬鹿にするような態度を取ったりするのです。

相手を蔑むような態度になったりします。

一見すると、優越コンプレックスの方が劣等コンプレックスよりも良いように見えますがそんなことはありません。

劣等コンプレックス、優越コンプレックス、いずれを持っていたとしても幸せという状態とは程遠いのです。

人との不調和が起きるのです。

劣等コンプレックスも優越コンプレックスも自分自身の人生の質を低くしてしまうのです。

いずれにしてもアドラーは人を突き動かすのは劣等感であると提唱したのです。

それは人との競争心からきているのです。

周りとの比較からくるものです。

もちろん、競争することは悪いことではありません。

健全なレベルで競争しているのかが問題になってくるのです。

育児と教育

アドラーは、元々、社会主義に強い関心を持っていました。

この社会主義が確立すれば、世の中はより良くなっていくと信じていたのです。

しかし、ロシア革命の現実を目の当たりにしてマルクス主義に失望します。

この結果、世の中を良くしていくのは政治ではなく、育児と教育だと思い至るのです。

特に、育児は大事であると考えるようになりました。

ですから、彼は育児と教育に力を入れていくようになるのです。

個人と人類の救済はこれによって可能となると考えるようになります。

健康、病気と社会的要因との関係を研究する社会医学に関心を寄せるようになりました。

人にとって、心理的、個人的な心の状態というのはもちろん大事なのですが、人は、社会的な動物でもあります。

ですから、社会を巻き込んで、他者との関係性、コミュニティとの関係性、これらをひっくるめて全体性を見ていくということを提唱したのです。

このようにして、育児、教育がアドラー心理学の中核となっていくのです。

彼は、ウィーンに児童相談所網をつくり、カウンセリング活動を行っていました。

子どもや親の治療の場としてだけでなく、教師、カウンセラー、医者などの専門職を訓練する場所ともなっていました。

他者が、自分に共感し、関心を持ち、自分が大きな社会の一部だという感覚を持つことが重要だと考えていました。

互いに共感しあっている。

私は一人ではなくて、全体の一部である。

ということを感じることです。

未来志向的な人間理解を背景にして甘やかされた子。

厳しく育てられた子。

反社会的な子。

自己中心的な子。

などに対する治療教育を熱心に行っていました。

アドラーが考える育児の目標とは。行動面の目標としては自立するということ。

社会と調和して暮らせるようになること。です。

心理面の目標では、私には能力があるといった自己効力感を得たり、人々は私の仲間であるという感覚を持てるようにすることを重要視していました。

そして、「人が持つ問題へのアプローチ」としては、問題は人の心の中にあるのではなく対人関係にあるのだとしました。

問題は原因論ではなく、目的論によって解決すると提唱したのです。

原因を探るのではなくて、何を得たいからこれが起こっているのか?

という物の見方をしていたのです。

ライフスタイル

また、彼はライフスタイルという言葉を提唱しています。

ライフスタイルというと生活習慣のことを言うように思いますが、アドラーの言うライフスタイルとは、それぞれが持っている「目標の設定」と「その達成の仕方」を指しています。

ライフスタイルには、ある種のパターンがあります。

それを理解することで、人への構えが深くなり人を理解できるようになるのです。

「目の前の困難や課題をどうとらえるかは、ライフスタイルに基づく」と考えます。

ライフスタイルは自分で決めており、4~5歳で身に付くと言っています。

ライフスタイルは容易には変わらないのです。

何故かというと、人はどこかで「変えないでおこう」と決心しているからなのです。

しかし、変えることは不可能ではありません。

性格とライフスタイルの違いを説明するとすれば、性格というのは刻印されているものであり、変えられないものというのが一般的ですが、

ライフスタイルは、人が強く信じているものであり、一旦確立されてはいるけれども変更可能だという考え方をしていたのです。

教育論

続いてアドラーの教育の考え方についてです。

彼は、親や教師は子供の信念形成に影響を与えると捉えていました。

子供の教育は子供の目的を知ることが第一です。

その子が何になりたいのか?

何を達成したいのか?

親や教師が、子供に達成して欲しいことではなく、純粋にその子がその子として生きていくためには、その子がその子らしい花を咲かせる為にはどうしたら良いのか?を明確にし、支援することが大事なのです。

アドラーは子供を叱ることも褒めることもしないとしました。

子供を叱ると、子供との関係が悪化する。

子どもの居場所がなくなる。

また、子供を褒めると上から目線の態度を取るようになる。

褒められないとやらなくなる。

特別でないといけないと思ってしまう。

ということから子供を叱ったり褒めてはいけないというロジックになっていたのです。

次に、子供が問題行動をとった時にどうしたら良いのかです。

問題行動には目的があります。

その目的を知ることが大事なのです。

問題行動をしたことを怒ったりそれを辞めたら褒めるのではなく、その問題行動をとった目的を見据える必要があるのです。

子供が問題行動を取る目的としては大人や周りの人の注意を引く、という目的です。

これは、みんな自分に注目して欲しい。

自分に関心を持って欲しい。

という欲求から来ています。

その欲求が肯定的に満たされないと無意識に否定的になってまでもその欲求を満たそうとするのです。

権力争いというのが目的の場合もあります。

どちらが強いのか?という競争がそこにあります。

対等であろうとする目的もあります。

これは、自分を下に見るなということです。

その目的が何であれ、問題行動が起こった時に大人がどうしたら良いかというと、不適切な行動に注目するのではなくて、適切な行動に注目をする必要があります。

適切な子供の行動にきちんと対応をしなくてはいけないのです。

きちんと対応できなければ、不適切な行動へと移行してしまいます。

コミュニケーションが大事

また、問題行動については、原因論的に考えるとすると愛情不足であるというロジックに陥りがちですが、目的論的に考えると、コミュニケーションの欠如と言えます。

愛があるからコミュニケーションを取れるのではなく、コミュニケーションをしているところに愛があるという考えです。

コミュニケーションは技術なので学ぶことができるのです。

愛情不足なんだと自分を責めるのではなく、自分を強迫的に相手に合わせたり甘やかしてしまうのは良くありません。

ただ、対等にきちんとコミュニケーションを取っていくことが重要です。

親と子としてではなく、対等な人間として対応するということをアドラーは重要視したのです。

褒めるのがなぜ良くないかというと褒めるという行為の中に評価が入っているからです。

ジャッジするのではなく、勇気づけのコミュニケーションであれば良いのです。

評価するのではなく、喜びを共有することが大事なのです。

ありがとう、嬉しい、助かったなどという自分の気持ちを伝えることです。

これは、「存在」への勇気づけであり、行為の「次」を求める下心ではない存在を認めるものである必要があります。

Doing「何かしたから」ではなく、Being「あなたがいるから」ということを称えるのです。

あなたが生きている事実そのものが喜びであるということが伝わるコミュニケーションである必要があります。

子供が自立して、社会と調和していくためにはこのようなコミュニケーションは大事になってきます。

自分は自分で良い。

存在するだけで価値があるのだと思える子供は自信を持てるものです。

自己肯定感があると社会と調和しやすくなるのです。

大人は子供が人生の課題に立ち向かうための援助する必要があります。

人生には課題は非常に多く発生します。

その課題を回避することが子供の為になるのではありません。

子供が課題に向き合えるように、その子が、その子の人生を全う出来るように、自分の目の前に来た課題に向き合い、それを乗り越えていく力を身に付けることが重要なのです。

課題の分離

アドラーは、課題の分離というのを重要視しました。

一体これは誰の課題なのか?ということを問い直すのです。

私たちは、愛情が有り余ってそれを思いやり優しさという名のもとに、相手の課題を奪って代わりにしてしまうことがあります。

特に親が子に対して、苦労させたくない、辛い思いをさせたくないという思いから、子供の宿題をやってしまうことがよくあるでしょう。

しかし、本人の課題は本人が乗り越えるべきものです。

課題の分離に関しては、親子関係だけでなく、夫婦関係や職場での同僚との関係、上司と部下の関係友人との関わりの間にもあります。

自分の課題は自分がこなし相手の課題は相手がこなすのです。

相手の課題を代わりにやってしまうことは相手の自立を阻むことに繋がり、それはおせっかいになります。

もちろん、個人では解決できない問題もあります。

それは共同の課題になります。

どうしても、個人では解決できない問題とは家族の問題であったり、地域のコミュニティの問題であったりします。

その場合は、みんなで膝を突き合わせて、どうしたらいいかを考えていくのです。

この時は、両者合意のもと、そこにニーズがあるということを確認してから、相手から要請があって協力していくことが必要です。

それは相手の義務ではなく善意からくるものです。

人生というのは思い通りにいくことばかりではありません。

相手に対して、強要はしない、過度の期待はしないということです。

当然の義務として思わないということです。

失敗の中で本人自ら経験の中から学んでいくことが重要なのです。

失敗させないこと。

正解を与えることが教育ではありません。

本人に失敗も含めて経験させる必要があります。

お互いが、対等な関係で根気よく話し合う必要があります。

そもそも違う人間なのですから、心も魂も違うのですからわからなくて当然なのです。

自分のことですら解っていないのですから相手についても解らなくて当然です。

どうしていこうか?と根気強く話し合う必要があります。

対等の関係というのは。競争と縦関係に入らなくてよいということです。

優れていなくてよい。

背伸びしなくてよい。ということです。

このことによって緊張から解放されます。

縦の人間関係は精神的な健康を損ないます。

最も大きな要因になる可能性があり注意が必要なのです。

精神的健康の三要素

アドラーはまた、精神的健康の三要素について唱えました。

まず、一つ目は自己受容です。

自己受容とは自分をあるがままに受け入れるということです。

何が与えられているかではなく、与えられている物をどう使うかが重要です。

今、持っている物で人生をどう切り開いていくか?

人生に必要なものは既に与えられています。

次に他者信頼です。

他者信頼というのは自己受容が前提にあります。

相手も同様によりよくなりたい、より調和や愛を求めているのです。

相手は自分の思い通りにはならないかもしれないが必要なプロセスを歩んでいると見るのです。

本当は相互の信頼です。

三番目に他者貢献です。

自己受容があっての他者貢献です。

自分が得するからやるとういのではありません。

他者も自分も同じなので他者へのケアは必要なのです。

これは結果的に自分のためにもなるのです。

人は、深いところで繋がっているという考え方がここにも反映されているのです。

 

 

人生の3つの大きな課題

アドラーは、人生には三つの大きな課題があると述べています。

一つ目は仕事です。

自分は何で役に立つのかということです。

それは、自分の人生において、また、世界において、どのように働きかけ、どのように役立つことができるのか?ということです。

あなたのどの才能を活かして生きていくかです。

二つ目が交友です。

友人との関わりのことです。

ご存知のように対人関係というのは

人生のおいて非常に重要なことです。

誰かに気にかけてもらっている。

誰かに認められているということです。

そして、三つ目は愛です。

これは、先の二つよりも人間関係が濃くなります。

これらが大きな三つの人生の課題だと言っています。

そして、これらは全て対人関係の中で生じています。

人との関係性の中にあるのです。

劣等コンプレックスについても克服していくことが人生の課題ですが、これも対人関係の中にあります。

これらの課題に向き合うためには自己愛も大事ですし、人間そのものに対する愛も大事なのです。

これらの課題に向き合う時、人は、〇〇だから出来ないと言って出来ない理由を探すものです。

課題に取り組むのを避けるために責任転嫁をしないということが重要なのです。

この責任転嫁というのは人生における嘘になってしまいます。

この自分の課題に向き合うという誠実さと素直さが人には必要なのです。

人は、意味付けの世界に生きているというのもアドラーが論じています。

全ての物事には目的があります。

広い意味で精神機能、例えば、感情、心、ライフスタイル、病気、 過去の経験、理性、思考などといいうのは個人が使うものであって、使われてはいけないとしていました。

感情と言うのは、私たちそのものではありません。

そのことを良く理解する必要があります。

人間は意味づけの世界に生きています。

私たちは、出来事そのものではなくそこに意味をつけて生きているのです。

同じ出来事が目の前に展開されていても見る人によって意味付けが違います。

ですから、同じ出来事であっても人は等しく同じことを経験しているのではなく、自分の関心に従って世界を知るのです。

また、アドラーのキーワードの中に「勇気」というものがあります。

それはまず、他人を気にしないということです。

自分は自分、他人は他人ということです。

そして、失敗を恐れないということです。

人生に失敗は付き物です。

もし、失敗をしたくないとしたら、何もしないことです。

しかし、何もしないということはなかなか出来ません。

人生を進んでいけば、必ず失敗はします。

失敗を沢山したということはそれだけ行動をしたということの証です。

人は、失敗を恐れずに進むべきなのです。

そして、あなたは他人の期待を満たすために生まれてきたのではありません。

あなたはあなたの期待を満たすために生まれてきたのです。

そして、また逆に言えば、他人はあなたの期待を満たすために生まれてはいないのです。

そこには違いがあってよいのです。

相互に理解しあう必要はありますが。このように勇気をもって前進しようというのがアドラーの強いメッセージになります。 

ロジャース

 

カール・ロジャース( 1902~1987)
アメリカ合衆国の臨床心理学者
来談者中心療法の創始者

来談者中心カウンセリングを提唱したロジャースについてお話しします。

フロイトユングアドラーと比べると一般的には、余り名前は知られていませんが、臨床の現場では名の知れた学者です。

カウンセラーとクライアントの人間関係を重視し、傾聴や共感に重きを置きました。

傾聴はカウンセリングの基本ともいうべき聴き方であり、あらゆるカウンセリングの基礎と考えました。

現代日本のカウンセリング方法は彼の影響が大きいとも言えます。

彼の心理学は人間性心理学というものです。

1950年代まで心理学の2大主流だった精神分析と行動主義への批判から生まれたのが、第3の心理学である人間性心理学です。

これは、脱フロイトという面がありました。

彼は、人間を「生成の過程にある存在」として捉えました。

ある条件を人に与えた場合、Aという反応があるという決定論的な考えには縛られていないとしていたのです。

また、人間は外界の環境の被害者ではなく、自己実現、個性化に「責任を負う存在」であると捉えるというのが、人間性心理学の特徴です。

彼は、従来のカウンセリング理論への疑問を持っていました。

従来の心理相談は「医師⇒患者」上から下、強い者から弱い者へというスタイルでした。

医者と言うのは患者にアドバイスを与えるのですが、助言・禁止・命令・説得・解釈等、知識が豊富な専門家が、知識のない相談者に一方的に指示をする指示的方法に疑問を抱いたのです。

相談者が自立的な場合に指示をすると抵抗感を強めてしまいます。

また、相談者が依存的な場合、ますます依存的になってしまいます。

指示で解決したとしても、必ずしも相談者の成長には繋がりません。

ロジャースは相談者の成長に重きを置いていました。

心理療法におけるロジャースの考えは、「一体、何に傷つき、どの方向に進むべきか、何が重要なのか、どんな経験が深く秘められているのかなどを知っているのはクライエント自身である。私はその過程の中で動いていく方向について、クライエントを信頼したほうが良い。」と言っています。

指示やアドバイスをせず、ひたすらクライエントの言うことに傾聴し、共感的に受け取り、受容し続ければ、クライエントは自らの洞察を得て立ち直り、よりよい方向へと成長していくことができる、ということが彼の考え方なのです。

ですから、非指示的方法と呼ばれました。

心理療法が成功するための6つの必要十分条件

ロジャースは、「心理療法が成功するための6つの必要十分条件」というのを挙げています。

①2人の人が心理的に接触を持っていること

②クライエントが不一致の状態にあるか、傷つきやすい状態にあるか、不安な状態にあること

③セラピストが自己の経験との一致の状態にあること

④セラピストがクライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること

⑤セラピストはクライエントの内的準拠枠を共感的に理解し、その経験をクライエントに伝達するよう努めていること

⑥クライエントは、自分に対するセラピストの無条件の肯定的な配慮と共感的な理解を少なくとも最小限度は知覚していること

ここで言う「一致」というのは、自己概念(そうあるべき自分)と自己経験(あるがままの自分)が一致している状態を指します。

③④⑤はセラピストに関する条件ですが、あなたがセラピストでないから関係ないと思うべきではありません。

あなたの人との関係性の中にも活かすことが出来るのです。

心理療法が成功するためのセラピストの3条件

上記で紹介した「心理療法が成功するための6つの必要十分条件」の中にもあったものです。

まず「③セラピストが自己の経験との一致の状態にあること」です。

自己概念(そうあるべき自分)と自己経験(あるがままの自分)が一致している状態を、「一致」と言います。

自分の感情や感覚に対して、真実(real)や純正性 (genuineness)を保つということを条件としています。

セラピストが自己一致していることにより、クライエントの不一致を自己一致状態へ変化させ、治療効果をもたらすために必要であるとしています。

カウンセラー自身も不一致の状態であればカウンセリングが上手くいかないのです。

これはフロイトのところで転移という話をしましたが、それと同様なのです。

次に「④セラピストがクライエントに対して無条件の肯定的配慮を経験していること」です。

クライエントの体験や存在を判断したり、評価したりすることなく、つまり正しいとか間違っているとジャッジすることなく、無条件に受容、配慮することです。

見返りを求めない尊重であるとか。

所有欲のない愛情が必要です。

クライエントが、自分に対して敬意を持っているから自分の価値を証明しようという姿勢にならないようにセラピストに求めています。

次に「⑤セラピストはクライエントの内的準拠枠を共感的に理解し、その経験をクライエントに伝達するよう努めていること」です。

クライエントの内面にある枠組みに対して共感的に理解するのです。

それは間違っている等と判断するのではありません。

クライエントの体験を、あたかも自分が経験しているかのようにクライエントの内側から理解するということです。

「内的準拠枠」というのは自分や世界を見る時のその人なりの基準のことです。

それを共有するよう努めることで、クライエントの体験をより正確に理解できると彼は考えたのです。

かわいそうに思ったり、クライエントに同一化してしまう同情(sympathy)とは異なります。

共感と同情は違うのです。

イマジネーションを働かせて理解をするかどうかということが重要です。

エンカウンターグループ

次は、エンカウンターグループについてです。

「エンカウンター」とは「出会い」という意味です。

自己成長や自己洞察の向上を目的としたグループによる体験のことです。

1960~70年代、アメリカで隆盛していたヒューマンポテンシャルムーブメントに乗って多くの人が参加した、人間性回復のムーブメントです。

通常は10人程度のスモールグループで、日常から離れた環境で数日間の合宿生活を行い、自由に話し合っていくスタイルを基本とします。

課題やその場を仕切る役割の人はいません。

ただ、ファシリテーターが存在します。

ファシリテーターは非指示的態度でグループの相互作用を促進するためのプロセスを見守る人です。

その人が決めて進めていくというのではありません。

参加者同士の交流を通じて、新たな気づきを得ていきます。

ロジャースの非構成的エンカウンターグループに対し、課題を設定する構成的エンカウンターグループもあります。

こちらは、何か話し合うテーマを決めて、それに沿って話すようなグループです。

他のメンバーによる理解や受容を感じることで防衛の必要がなくなります。

自分は受け入れられていると感じることで率直な感情表現ができるようになります。

ありのままの自己を認め、自分自身であり続けることができるようになるのです。

メンバーとの親密な出会いが、個人カウンセリングでは得難いインパクトを伴い、心理的成長を促してくれます。これが特徴になります。

ロジャースは職業的立場からだけでなく、個人的な動機も強かったようです。

ロジャース自身が自分自身になるための課題でもありました。

彼は引っ込み思案な部分があり、対人関係における自発性の乏しさ、繊細で過敏な気質という課題を解決する必要がありました。

そのためにエンカウンターグループが有効であると自ら実践していのです。

最後まで自ら実践し、人と親密になれ、率直な触れ合いを持ち、人生を真に楽しめるようになっていたのです。

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